わろてんか|大阪中央放送所のモデルはNHK大阪放送局!吉本を騙した

 

朝ドラ『わろてんか』では、大阪中央放送所の職員が北村笑店に赴いて、月の井団吾の

ラジオ出演を持ち掛けます。

 

藤吉が病気療養中だったことから風太とてんが対応しますが、風太は寄席に客が来なくなること

を危惧してこれを一蹴しました。

 

ところが大阪中央放送所側は諦めておらず、今度は月の井団吾に直談判して出演を促します。

 

他の記事でもご紹介しましたが、このあたりのエピソードは団吾のモデルとなっている

初代桂春団治のラジオ出演事件をモチーフにしています。

 

ただし驚いたことに、大阪中央放送所のモデルはNHK大阪放送局です。

 

当時のNHKは吉本興業部を出し抜いて、春団治のラジオ出演を強行していたのです。

 

(現在のNHK大阪放送局)

 

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大阪中央放送所のモデルはNHK大阪放送局!吉本を騙した

 

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NHK大阪放送局のルーツは、大正14年(1925年)2月。

 

翌年の大正15年(1926年)には日本放送協会(NHK)の傘下に入り、大阪中央放送局と呼称しています。

 

そんなNHK大阪放送局が春団治事件を起こすのが、昭和5年(1930年)127日のこと。

 

当時は既に公的な側面を持つ放送局だったにも関わらず、吉本興業部を欺いて

春団治にラジオ出演させています。

 

当初はドラマと同じように吉本にオファーを出しますが、吉本せいは所属芸人が

ラジオ出演すると寄席に客が来なくなると危惧してこれを厳禁していたので一蹴されます。

 

ところがNHK大阪放送局は諦めずに、吉本にバレないようにこっそりと春団治をラジオへ

出演させることを画策します。

 

春団治と直接交渉して170という破格のギャラでラジオ出演はまとまります。

 

また吉本側の妨害なども予想されたので、かなり手の込んだ手段で放送を実現しています。

 

まず大阪放送局のスタジオを使わずに、京都駅前にあった丸物物産館内に特設スタジオを設けています。

 

そして春団治が京都にあった吉本の寄席の新京極富貴席に出演するタイミングで、

放送を図りました。

 

前日の126日に春団治が新京極富貴席の舞台に出演後は大阪に帰さずに、7日の出演時間までは

京都の旅館に缶詰めにした上で、ラジオ放送を実現させました。

 

ラジオ放送はPM1240分からで、春団治は「祝い酒」という演目をやっています。

 

当時の彼は未だに売れっ子だったので、ラジオの評判は非常にいいものでしたが、

すぐに吉本興業部側にも知られてしまいます。

 

吉本せいは激怒して春団治の家財道具などを差し押さえさせますが、ラジオの反響で

寄席に多くの客が押し寄せてきたのを見て態度を一変させます。

 

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一方でNHK大阪放送局もやり過ぎを認めて謝罪したことから、せいの実弟の林正之助が

一席設けて局の演芸部長と放送部長を招待して両社は和解します。

 

これをきっかけに吉本興業部はラジオを積極的に活用していきましたが、ラジオ放送は

後の漫才の大ブームに大きな貢献をすることになります。

 

春団治のラジオ出演事件のてん末はこのようになっていますが、天下のNHK

吉本を出し抜いているなど、現在からは考えられない驚きの行動ですよね?

 

ちなみにドラマの大阪中央放送所のコールサインはJCBKとなっていましたが、

NHK大阪放送局のそれはJOBKです。

 

自社がモデルとあって、制作側の作り込みも細かいですね♪

 

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